マエケン エースへの道<中>走り込み '10/10/17

 ▽「人の3倍努力」大器の礎

 本格的に野球に取り組むようになってから、前田健の素質は指導者を驚かせた。

 これまで、誰にも投球フォームを教わった経験がない。ボーイズリーグの忠岡ボーイズ(大阪)に所属していた中学時代に一度、100球投げて何球ストライクが入るかを数えたことがある。90球を超えていた。「制球が悪い投手を見ると『なんでやろなあ』と不思議だった。今思うと、生意気ですよね」

 ▽土日に25キロ走

 小、中、高校と、いつもエース。プロ4年目で球界を代表する投手の一人になった。とんとん拍子に飛躍したように見える。だが、本人は異論を唱える。「誰にも負けないくらいの量を走り込んできた。その自負がある」

 小学生のころは練習後、一人で5キロを走った。忠岡ボーイズでは土日に必ず25キロ走を課せられた。本当に走り込みの重要性を痛感したのは、PL学園高(大阪)2年の時である。

 1年夏、背番号11を背負って甲子園デビュー。「桑田真澄の再来」と騒がれた。だが2年の春、夏は甲子園に出場できなかった。「野球を甘く見ていた。騒がれて、プロにも簡単に入れると勘違いした自分が悔しかった」。初めてのスランプだった。

 下半身強化に活路を求めた。2年秋、コーチに相談し、特別メニューを組んでもらった。「人の3倍は頑張った」。対外試合もベンチを外れ、一人黙々と走った。始業前も、雨の日もランニングを欠かさなかった。

 ▽球速もアップ

 努力は裏切らなかった。冬を越すと球速は10キロアップし、140キロ終盤の球が投げられるようになった。3年春、甲子園切符を手にし、1回戦は16奪三振、2回戦は完封勝利。準々決勝では本盗も決め、4強入りの原動力になった。「走る」という信念を貫き、スカウトたちを再び振り向かせた。

 プロ入りし、最初に目立ったのも「走力」だった。2007年1月11日、新人合同練習初日の20分間走。即戦力の社会人出身選手たちを100メートルも引き離し、1位でゴール。当時の新聞は「持久力は自信がある。アピールしたかった」と18歳のコメントを伝えている。プロ生活が始まった日、早くも大器ぶりを発揮した。(五反田康彦)

巻き返しへ敵は己 コイ秋季練習スタート '10/10/17

 広島の秋季練習が16日、マツダスタジアムで始まり、首脳陣、選手ともに5位に終わった今季の悔しさを胸に来季へのスタートを切った。

 ▽野村監督、自主性促す

 投手3冠の前田健や盗塁王のたち1軍メンバーや、右肩痛が続く大竹たち20選手が参加。練習開始前の円陣で、野村監督は「練習した者が生き残っていける。練習をやった者勝ち」と語気を強めた。初日は守備や打撃練習、投手陣はチューブトレーニングをこなすなど約4時間、体を動かした。

 プロ意識が問われる秋になる。指揮官は「妥協はいくらでもできる。本人がいかに課題を持ってやるかだ」と自主性を重んじる方針を打ち出した。

 チーム最多の53試合に登板した大島?は「球速にこだわり、ウエートトレーニングなどでパワーアップを目指したい。まだ伸びしろはあると思っている」と飛躍を誓った。

 梵は「秋の練習は春よりも大事だと思っている。まだまだ勉強することはあるので謙虚に取り組みたい」。13年連続Bクラスからの巻き返しへ、まずは個々のレベルアップを図る。(友岡真彦)

ChuGoku


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Last-modified: 2010-10-18 (月) 12:01:36 (3289d)